東京高等裁判所 昭和57年(ネ)1209号 判決
三 右二認定の事実によると、控訴人と被控訴人間の婚姻関係は重大な事態に至っていることが認められ、≪証拠≫によれば、控訴人は、被控訴人との離婚を強く望み、被控訴人との円満な夫婦関係を修復しようとする意思はもっていないように見える。
しかしながら、≪証拠≫によれば、被控訴人は、控訴人及び母に対する言動に至らぬ点があったことを反省するとともに、ひたすら控訴人が被控訴人に対する愛情を取り戻すことを願い、折にふれて父親を求める長女希代のためにも円満な夫婦関係が修復されることを切望し、より広い心で控訴人の希望を受止め、暖かい家庭を築きたいと念じ、そのための努力を惜しまぬ覚悟で、さしあたりの生活費を得るため前示のとおり会社に勤めながら希代を養育しつつ、同女とともに控訴人が家庭に帰る日を待っており、その間、特に家事調停の過程をとおして、それぞれの考え方の是非善悪を問いつめるよりも、相手方の立場に立ってその求めるところをきめこまかく察知し、これを受入れる思いやりをもつことが、円満な家庭を築くうえに大切であり、その点で従前は仕事にかまけて欠けるところがあったと気付くなど、人間的成長において見るべきものがあることが認められる(控訴人は、被控訴人が表面的に離婚に反対であると称しているのは、単なる反感、嫌がらせにすぎないと主張するが、本件全証拠によるも、かかる事実は認められない。)。
そして、前認定の事実によると、控訴人と被控訴人間の夫婦関係が今日の事態に至った原因については、控訴人と被控訴人の性格やものの考え方の違い、あるいは意思の疎通の不足に基づく誤解による争いが続いたとはいうものの、さらに堀下げて考えれば、控訴人と被控訴人は婚姻前の了解に基づき共働きをしていたのであり、控訴人との相互の一体感がかなり強いとみられる母と同居に近い状態にあったのであるから、夫たる控訴人としては、被控訴人との夫婦関係を中心に考え、母に対する接し方についても、被控訴人が控訴人の望むとおりの態度をとることを性急に求めるのではなく、寛容の心をもって双方の調整に努め、家事についてもより積極的に協力することが必要とされたにもかかわらず、控訴人は、被控訴人との間における夫婦の信頼関係を固めること以上に母との関係を重んじ、被控訴人に対して一方的に母を立てることを求めることが多く、また進んで家事を手伝う姿勢でもなかったため、仕事が多忙なうえ通勤に時間を要した被控訴人は、疲労が重なって精神的余裕を失い、控訴人の不満(わがままというべき面の強いことは否めない。)を思いやるゆとりのないまま、端的に自己の意見を主張したことに起因するところが大であるものと認められる。<中略>
したがって、当事者双方に、いま一歩の人間的成熟があったならば、特に、控訴人に、婚姻の本義を見失わず、嫁と姑の間に立つ夫としての心くばりを忘れない態度があったならば、今日の事態は避けられたものというべく、現在でも、双方がこの点に思いを致し、真剣に修復の途を求めるならば、破綻に瀕しているかに見える夫婦間の信頼関係を回復することも、決して不可能とはいえない。被控訴人が、仕事と家庭の両立をあきらめ家庭第一の生活をするために医療センターを退職し、<中略>控訴人の気持に対する思いやりに欠けるところがあったことを反省するとともに、ひたすら控訴人が被控訴人に対する愛情を取り戻すことを願い、<中略>長女希代とともに控訴人の帰りを待っていることは前述したとおりであり、控訴人さえ真剣にやり直す気持になって被控訴人と希代の許に戻ってくれば、かつてのように被控訴人が仕事に追われて精神的余裕を失い、生活に潤いがないということはなくなり、希代を囲んでの円満な夫婦、親子の共同生活が可能になるものと思われ、控訴人に対してそれを期待することは、決して不可能を強いるものとは思われない。
以上によれば、控訴人と被控訴人の婚姻関係は、客観的にはいまだ完全には破綻していないものといわなければならない。すなわち、民法七七〇条一項五号所定の「婚姻を継続し難い重大な事由」があるとの控訴人の主張は採用しえない。
四 もとより、別居以来既に八年を経過している現在、控訴人と被控訴人が過去の行きがかりを水に流して現実に円満な夫婦関係を回復するには、ある程度の時間を要するものと思われ、特に控訴人側に、これまでの逃避的態度を克服するためには、相当な抵抗感があることは、推測するに難くない。しかし、前掲各証拠によれば、八年とはいっても、その期間の殆んどは、控訴人が、夫婦の平等を家庭生活にまで反映させては共同生活は成り立ちえないとする旧来の婚姻観から、被控訴人を権利意識の強い勝気な女性とみて疎んじた(被控訴人の態度に生硬に失した面のあることは否定できないが。)母や仲人その他控訴人側近親者の意見にも強く影響されて、調停、訴訟によってでも離婚の結果を得べく、ひたすら防禦を固め、婚姻関係修復のための前向きの姿勢をとることを避け続けたために経過したものであって、その間に被控訴人側から修復のための有効なてだてをとりえないまま長い年月が過ぎ去った一事をもって、婚姻関係の破綻が決定的となったものとするのは、当を得ない。控訴人と被控訴人の婚姻関係が客観的にはいまだ完全には破綻していないものと認められることは前叙のとおりであり、その修復を現実的に可能にするか否かは、当事者双方の、現状ではとりわけ控訴人の意思如何に係っているといわなければならない。控訴人がその努力をする気を起こさなければ、もとより修復は望むべくもなく、破綻は決定的となる。しかし、現状において既に修復不能としてその努力を避けることは、中学校以来の顔なじみであるうえ、相当期間の交際を経てお互いの考え方もある程度理解し合ったのちに、生涯を共にすることを誓い合って婚姻し、一児をも生した控訴人のとるべき態度としては、余りにも身勝手として許されない(気に入らないから別れるというに近い。)ところというべく、その結果招来する破綻の責は、主として控訴人側にあるものといわなければならないから、かかる破綻に帰することは所詮免れないとして、現時点で控訴人から離婚を求めることは、許されるべくもない。
(横山 野崎 水野)